今川節

「今川節の部屋」の資料をお調べの時は、一般の検索画面からお調べください。

主な展示物

・通信添削を受けた初期の楽譜

 著名な作曲家・弘田竜太郎氏らの添削指導を受けた初期の楽譜。

 1922(大正11)年「赤い鳥」7月号に掲載された案内を見て、14歳の時に音楽通信講習を受講、童謡風なメロディーづくりを習得しました。 

・「赤い鳥」に推奨掲載された楽譜

 1925(大正14)年「赤い鳥」8月号には、北原白秋の詩に節が作曲した「てふてふ」(ちょうちょう)が作曲家・成田為三氏の評と共に掲載されました。

・代表作「ペチカ」の楽譜とレコード

 1926(大正15)年、作曲活動2年目にして、白秋の詩「ペチカ」を作曲、節の代表作となりました。

 また、1934(昭和9)年12月、節が他界した年にキングレコ―ドから東海林太郎の歌で「ペチカ燃えろよ」が全国発売されました。

・謄写版印刷した楽譜

 1926(大正15)年から2年半、毎月、謄写版で「今川節作曲楽譜」を印刷、全27号発行しました。

・全国1位に輝いた「四季」の楽譜と賞状

 1933(昭和8)年5月、東京の日比谷公会堂で開かれた時事新報社主催「第2回音楽コンクール」の作曲部門で、今川節が命を懸けて作曲し書き上げた「交響組曲・四季」は、みごと全国1位に輝きました。