中野重治

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古谷綱武略年譜

 

1908(明治41)年

5月5日、外交官だった父古谷重綱の任地、ベルギーのブリュッセ ルで生まれる。小学生になるまではロンドンで育つ。

1922(大正11)年

父の故郷である愛媛の県立宇和島中学に入学する。

1924(大正13)年

東京の青山学院中等部へ転入。

1925(大正14)年

中学4年で成城中学に転入。翌年成城高校に入学する。

1929(昭和 4)年

成城高校中退。在学中に外国文学に関心を持ち、小泉八雲にひかれる。

文芸雑誌『白痴群』に、高校の同級生、大岡昇平らと入り、中原中也、小林秀雄らと知り合う。

1933(昭和 8)年

大鹿卓らと同人雑誌『海豹』を創刊。同人に太宰治がいた。

1934(昭和 9)年

壇一雄らと文芸雑誌『鷭』を創刊する。

1936(昭和11)年

2月『横光利一』(作品社)を刊行。この評論集で文芸評論家として立つ。

7月『批評文学』、11月『川端康成』を刊行。

 以後、評論家としての道をあるき、作家論を中心とした文芸評論のほか児童文学、教育、婦人問題、農村問題、人生論など多方面にわたって活躍。多くの著作を世に送り出した。

1984(昭和59)年

2月12日、永眠。(75歳)